さらば神の子… 山本”KID”徳郁、逝く

山本キッド徳郁、あの男が41歳の若さでその生涯を終えた。格闘技の神の子が、神のもとへ、 あまりにも早く召されたのだ。

しかし正直に言ってしまうと、現役時代、キッドの現役時代に、 彼を応援したという記憶はほとんどない(笑) 理由はほとんどが、あまりにも強すぎるからと言う典型的な昭和のアンチ巨人感情であった。また修斗デビュー時はペナルティをを受けたこともあるなど、マナー違反の部分も目立っていたし、それに K 1・HERO'S参戦後は、その団体…というか谷川貞治さんが 露骨にプッシュしてたからね。谷川氏の泣きっ面を見たい、と思うあまりにキッドの相手に勝ってほしいと、ほぼ一貫して思ってたような気がする(笑)宇野薫戦もホイラー戦も須藤元気戦も。

だけど全盛期のキッドはアンチだからこそ覚えているが、アンチが「クソ―」と思いながらも、 魅了されざるを得ないようなとんでもない神がかり的なファイトをしてきた。

HEROES はペーパービューがなくて、全試合きちんと見るには会場しかなかったということもあり、会場には結構行った。 ホイラーグレイシーを完全 KO したファイト、伝説の4秒飛び膝蹴り KO と「 やばい、かっこよすぎる俺」のマイクなどは直接見聞きした。

【四秒KO】山本KID徳郁vs宮田和幸
そういえば自分は柔術的な サブミッションを決め技にするタイプのファイターが好きで、そのキラー的存在だったからこそ山本KIDは好きじゃなかったのだけど、ホイラーや須藤元気を倒してトーナメント優勝だからね。

アマレスでがっちりとした基礎と体幹を持っているけれど、そこは倒されないということに活用して、実際の武器はとんでもないばねを生かしたビッグパンチ…というファイターは高橋義生がいたけれど、それを一段も二段も進化させたようなファイトだった。


時代と個人が、ぴったりとある時期に一致した「星の時間」を共有した男だからこそ総合格闘技のアイコン足り得たのだろう。

実際彼は、MMA盛り上がりの機運が満ち満ちた時期にデビューし、 最盛期は地上波テレビ放送(TBS)で全面後押ししたイベントで頂点を極めた。怪我のアクシデントもあり、実力的に降った時期は日本だけでだが MMA が下火になる時期であった。どちらもうまくいかなかったけど、途中でのアマレス挑戦、そして最後の UFC 所属は、一般世間に届く知名度や、海外での知名度を押し上げる効果もあったろう。

離婚などもあり、個人的な生活レベルも天国から地獄までみたらしい(TBS「バースデー」でその辺のことを詳しくやっていた)けど、 本人も結局根っからのアスリートで、大きな車を何台も持つような生活からジムで寝泊まりするような生活まで楽しむことができたらしいのは救われる。

あれだけのカリスマだから支援者もいたらしく、ジムも栄枯盛衰がありながら常に多くのプロファイターを排出し、そして日本格闘技界の最高傑作、歴代パウンドフォーパウンドの堀口恭司という存在を生み出した。

その堀口が、キッド本人がそうだったように、キックの世界で一番のカリスマ、今一番輝いているファイターとキックルールで大一番を迎える…あと11日後、その試合を見ずに行くことは残念だったろう。

しかし一番の特等席 から、 愛弟子の大一番を見守ってくれるだろうと信じたい。

「…人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。

人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。

 十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。…四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。」


吉田松陰が処刑直前に江戸・小伝馬町牢屋敷の中で書き上げた「留魂録」より)

http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/ryukonroku.html