修斗古参ファン「うしをたおせ」さんの山本KID徳郁追悼ツイート
うしをたおせ さんといえば、修斗を非常に近いところから、そして長い間見つめ続けてきたファンの第一人者。
この方の、9月の山本KID逝去に際しての追悼文。
KID今までありがとう!あなたがいなかったら、こんなに総合格闘技は盛り上がってなかったよ。特に軽量級はね。あなたの強さとカッコ良さは別格。永遠にね。生き物として強くてカッコ良すぎた。あの世でもおもいっきり暴れてください。本当にありがとう!
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
徒然なるままにKIDを語るか。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
一番接近したのは、ディファで自分の隣に座ってきた時。もちろんチケットはないはず。観戦中もずっと踊るように身体を揺らしてた。コツコツ僕にぶつかっていたけど、ビビッていた僕と対照的に本人は全く気づいていなかった。なんか感覚が普通と違うんだなぁと感じた。
真横で見たKIDはすげぇかっこいいの。フォルムの美しさが野生動物の美しさと一緒。筋肉の盛り上がり方がしなやか。手首とか肘とかがくびれててキレイ。リング上の姿を見て感心したのは、ウェストの細さ。マッチョはいっぱいいるけど、あのくびれはKIDだけ。凄い色気だった。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
全盛期のKIDはとにかく背筋がやばかった。北沢タウンホールで目の前を通ったけど、一人だけ甲羅背負ってるみたいだった。ルミナ、北岡君、笹本選手も背筋やばいけど、KIDの背筋やばかった…。Tシャツの上からも異次元だった。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
全日本アマ優勝したときも見てた。大振りフックとテイクダウンで勝ち上がってた。噂のKIDもそんなびっくりするほどじゃないじゃんとその日は思ったけど大きな思い違いだった。その後とてつもなくスタンド打撃は向上し、パウンドという歴代随一の武器をプロルールで解き放ったのでした。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
KIDのパウンドは総合格闘技を変えた。当時はヒョードルとKIDがパウンドの双璧だった。グラウンド&パウンドの代名詞である五味ですら、パウンド一発KOはまだ無かった。ダメージを与えるパウンドはあったが、KIDが初めて失神させるパウンド、破壊するパウンドを繰り出した。概念を変えた。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
デビュー戦は後楽園ホールの塩澤戦。まだ打撃も粗く、テイクダウンしても塩澤の寝技に攻めあぐねた。華はあるしパワーもあるけど、そんなに凄くないな、と思ったけど、また勘違い。KIDと互角に戦った塩澤選手が凄すぎただけでした。当時無名だったけど塩澤選手は実質階級最強だったのでした。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
塩澤選手の凄さを記したトイカツのブログ。寝技だけじゃなく打撃も凄かったんだよなぁ。https://t.co/Ux6d7iTf1x
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
KIDのパウンドといえば、門脇教祖を一発で沈めたデビュー第3戦。門脇ほどの寝技の名手がパウンド一発で失神し、その名の通り病院送りにされるとは。とてつもないショック、衝撃だった。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
忘れられないのがパーリング戦。お互い鋭利な鉈を振るい合うような緊張感が凄かった。結局KIDのタックルに合わせたパーリングのヒザがKIDの額を幅1.5cm、長さ5cmくらい切り裂きストップに。試合後怒り狂ったKIDがあいつの顔の皮を剥いでやると言ったコメントも強烈。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
あのパーリングへのタックルは凄かったな、ヒザを喰らいながら、天高く持ち上げてテイクダウン。美しさで言えば、KIDのベストタックルだと思う。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
一番のインパクトといえば勝田戦。当時の大和魂軍団。KID軍団の恐ろしさは別格。エンセン組長とKID若頭の迫力が凄すぎて。伊勢選手も恐かった
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
な。入場から見てて震えがくるほどの迫力。そしてあの試合。あの強い強い勝田が気迫で飲み込まれて、崩されてひたすら打ちのめされた。
レフリーの制止を振り切り、舌を出して笑いながら失神している勝田を殴りつつけどKID。恐怖でしかなかった。その暴力性と悪のオーラに対して、当分嫌悪感が凄かった。得体の知れない興奮と嫌悪感で当日なかなか寝付けなかった。あんな試合はあれが最初で最後だ。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
あの試合は試合後も凄かったな。当時2大ジムのピュアブレッドとK’zがリングサイドで大乱闘。屈強なプロシューター達が乱闘を繰り広げるなんて。凄かった。見度と見たくないが。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
謹慎受けたKIDが国内復帰するのは1年後の後楽園パラエストラ興行。当時KIDへの嫌悪感が抜けていなかった僕は、プロモーターの若林さんへ、なんでKID使うんですか?と疑問を投げかけたりした。若林さんはKIDは修斗におけるタイソンだからとの答え。プロモーターは清濁飲めないと。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
当時のKIDはとにかくギラギラしていた。レスリングでは発散しきれていなかった闘争本能を総合というルールで爆発させた感じ。生き物としての殺傷能力が違った。リング上はローマのコロッセウムのように猛獣対人間という感じ。しかも人間は武器持ってないという。殺戮ショー見てる感じだった。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
KIDは目が輝き、口は笑みを浮かべて、たまに舌なめずりしそうな表情。当時はKIDが負けるかもなんて微塵も思わなかった。どうやって相手がどこまで生き延びれるかって感じで見ていた。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
衝撃で言えば、K-1の村浜戦。全盛期にはほど遠い、プロレス参戦中の村浜だったが、SBの申し子、K-1王者であり、投げも強い強打者。打撃だけでKIDが通用するのかと楽しみにしていたらあの結果。もう呆れた。まああの時のKIDは身体膨らませすぎだけどね。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
あまりにも強かったから憎かった。それぐらい強かった。だからK-1でザンビディスにKOされたときは、KIDもKOされるんだ!って喜びつつ驚いた。でも試合後の笑顔がさわやかで憎いでやんの。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
そのうちHERO’Sへ舞台を移すわけだけど、KIDって60kgちょっとなんだよね。なのに70kgの階級で戦って、ナラントンガラグ、宇野君、須藤元気に勝っちゃうって分けわかんない。階級制の重要さを分かっていたつもりの僕は須藤元気が負けたのが信じられなかった。桁違いのスターだった。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
そのうちHERO’Sへ舞台を移すわけだけど、KIDって60kgちょっとなんだよね。なのに70kgの階級で戦って、ナラントンガラグ、宇野君、須藤元気に勝っちゃうって分けわかんない。階級制の重要さを分かっていたつもりの僕は須藤元気が負けたのが信じられなかった。桁違いのスターだった。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
宮田戦は凄い期待していた。KIDの絶対的なバックボーンはレスリング。天才肌のレスリングで実績や体格で上回る宮田が初めてKIDを苦しめるのではないかと期待していた。そうしたらあれだ。予想を上回りすぎる。レスラーはテイクダウン恐れて飛び蹴りしないもん。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
UFCでDJに負けたのもショックだったな。あんな小柄な相手にタックル入られて判定負けするなんて。その小柄な男が無敵のPFPになるなんて当時は思わなかったけどね。でもヒザを怪我する前のKIDは絶対当時世界最強だった。いまでもそう思ってる。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日
KIDほど影響を与えた総合格闘家もいないのでは。だってかっこいいもん。ファイトスタイルが凄いもん。多くの人がKIDがそうしたように疾風のように縦横無尽に動き、ハンマーのように自在の相手を打ち抜きし、相手を引っ掛けてはなぎ倒し、拳を落とし粉砕してみたいと思い描いたと思う。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2018年9月18日